最終更新日時 2018-12-09 13:25:56

会員企業の紹介ー私はこうして起業した⑤ タイヨー㈱ (大村託現)

★タイヨー㈱ 代表取締役 大村託現 (S43年 法学部卒)

◇弁護士を目指して
 
長野県松本市出身です。高校卒業後、地元で1年の浪人生活を経て1964年に明治大学法学部に入学しました。学生時代から将来は弁護士になることを目指し司法試験の勉強を続けながら、また精神と体力を鍛えるため体育会合気道部に在籍しました。1968年大学卒業後も就職はせず、アルバイトをしながら司法試験の勉強を続けました。そのうち結婚して子供も生まれ焦りが出てきて、正社員としての就職を考えるようになりました。色々なところに履歴書を出すなかで警備という仕事に目を付けました。まだ比較的新しい業界で、それほど人材が集まっていませんでしたので、1982年、司法試験をあきらめ警備会社に就職しました。

 ◇警備会社の創業に誘われ
 
1985年、警備会社の仲間に誘われて新しい警備会社の創業メンバーの一人として係わる事になりました。私が誘われた理由は法律関係の知識に強かったからです。警備員は警察と同様に多くの法律で固められており、警備員に法令を教える事が私の担当でした。数名の同志と江戸川区アパートの一室からスタートしました。当時、警備に対する需要は増えつつありましたから、仕事は結構ありました。売り上げも伸びてきましたが、何しろ会社経営をしたことのない人間の集まりで、大金を扱うのが初めてのため、みんな稼ぐはじから使ってしまいました。一年後、回転資金が底をついてしまうと「金の切れ目が縁の切れ目」いつの間にか仲間がいなくなり、気が付いたら私だけが逃げ遅れていました。

警備員の皆さん

 ◇やるしかない
 
残ったのは私と、現場で働く警備員数名と、多額の借金でした。自分にも責任があるし、取引先もあるし、警備員は私を頼りに残っているわけですから、もうやるしかないと腹をくくりました。残った借金も全て引き継いで、新しく生まれ変わるためタイヨー㈱として法人化しました。私一人しかいないわけですから、一人で何役もやりました。会社に寝泊まりしながら家に帰れるのは土曜日の夜だけという忙しさで悪戦苦闘をしているうちに、少しずつ形になってきました。
警備員の生活を守ってやらなければならない。もう自分の意思にかかわらず、やらざるを得なかったというのが本当のところです。そもそも私は経営者になろうなんていう気持ちは全くなく、創業したばかりの会社に誘われ飛び込んだのも自分で食べる道を探さないといけないと思ったからに外ありません。
 創業10周年のお祝いパーティをシェラトンホテルで盛大に開きましたが、それを機に大勢のスタッフが集まってきて自分で雑務をしなくてもよくなりました。
 そして昨年(2010年)創業25周年記念パーティをロイヤルパークホテルで盛大に開催する事が出来るまでになりました。

会長室に掛る社訓

 ◇「安全」「安心」を売る商売
警備の仕事は「安全」「安心」という形にないものを売るサービス業の1つです。それは目に見えないものですから警備をする人間が表現する以外ありません。みんなで「礼節」を守って、「明朗」な気持ちで、「正義」感をもって、「勇気」を出して、「謙虚」な姿勢で仕事に臨む事が大事であり、この5つの言葉を社訓としています。
 総合警備業務として、施設警備、交通誘導警備、イベント・雑踏警備、身辺警備、保安警備、警備員の教育・指導、建物の保守・管理・清掃業務、損害保険業務を手掛けています。

 
◇さらなる躍進へ
私は不器用で大雑把な人間で商売に必要な資質を持ち合わせていると思った事がありません。
ただ愛嬌だけはあり、私を知る人達には結構人気があります。どこからともなく人が集まってくれて、担ぎ上げてくれた。この会社が成長できたのはみんなのおかげです。
 社員とその家族を守っていくために企業の継続は重要です。会長職についた現在、世代交代を見据え、後継者の育成に関心を寄せています。今、社長を任せている人間は本当に頑張っていますし、実力もあります。私の息子も外で修行して当社に入社してきました。 
息子にバトンタッチするにもあくまで能力の問題になってきます。もう少し様子を見極めたいと考えています。
 失業率の増加や犯罪の凶悪化、金融危機など不安定な社会において、これからも「安心と信頼の警備」を目指していきます。
また東京都警備業協会 常務理事 教育委員会委員長をおうせつかり、業界全体の発展のためにも尽力していきたいと考えています
                                                 以上

25周年記念式典

タイヨー本社





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