最終更新日時 2024-10-30 01:25:53

会員企業の紹介ー私はこうして起業した⑩ 瀬下建設工業㈱ (瀬下和夫)

★瀬下建設工業㈱ 代表取締役 瀬下和夫(S56文学部卒)

瀬下和夫氏

高校卒業後、北島ラグビーに憧れ明治大学進学を目指すが、諸事情のため断念し秋田消防署入署。翌年、明治大学を受験し合格。大学時代体育会ラグビー部でNO8として秩父宮・国立で活躍し1980年度の主将を務めた(日本学生代表主将兼)。大学卒業後は、秋田市役所に再就職と思い試験を受けたが不合格。その間日本代表として海外遠征などをこなし翌年再受験し無事合格。秋田市役所ラグビー部でプレーし、59年度主将を務め、奈良国体では秋田県選手団の旗手を務める。ラグビー日本代表選手としてもテストマッチに出場(キャップ13)経歴を持つ。現役引退後、公務員では秋田工業高校ラグビー部を強化できないと単純に考え無謀にも退職。1987年瀬下建設工業㈱を設立(最初の仕事は犬小屋だった)

代表取締役として秋田県を中心に実業の采配を振る傍ら、秋田ノーザンブレッツラグビーフットボールクラブ理事長としても秋田のラグビー強化に力を注いでいる。また、(財)日本ラグビーフットボール協会総務委員会のメンバーとして、ラグビーワールドカップ日本大会招致活動などにも携わっている。

世界的に環境問題が最大の課題になっている時代、我々建設業の生業として従来ともすれば環境破壊業界と言われる所以もありました、近年はどんな小さな会社でも個人でもこの美しい地球を永遠に未来へ引き継ぐべく、職場でも仲間でも語りあう時代となりました。

建設業としての生業は固いイメージです。弊社は一昨年ECO事業部・健康事業部を立ち上げ、LED・蓄電池・健康器具や健康食品、そして秋田が誇る秋田杉材チップを利用した無農薬高品質土壌による「炭じょう米」の製造販売もしております。瀬下建設工業(株)は、地域社会への貢献を企業として大切な役割と心得、瀬下ワールドファミリー会を創設しました。会員相互の業績発展はもとより、日本を『もっと良くするため』地域スポーツ振興およびスポーツからの人づくりのための研修会など、お互いに研鑽を積むことを目的として活動しております。

(2011.1.29記)

学生時代

炭じょう米の収穫

1件のコメント

  1. Comments  瀬下洋一(せした よういち)   |  2019/10/22   10:02 AM

    はじめまして、瀬下さま。
    僕は瀬下洋一(せしたよういち)と申します。友人の兄が明治大学に通っていた時、その友人や友人の兄と早明戦をテレビ観戦していた時に、瀬下選手のことを知りました。もう、40年以上前の話ですが。
    同姓(読みは違いますが)の人を親戚以外で見たのははじめだったこともありますが、プロテクターもつけずに男同士が意地を賭けて突進する姿に感動し、憧れたのです。
    自分は違う大学に進みましたが、それ以降明治大学の紫紺のジャージを応援し、北島監督を尊敬してきました。
    今回、全日本的にラグビー ワールドカップの影響で、ラグビー の素晴らしさが認知されて、多くの方々が力づけられだと思います。僕も、自分自身がやったのは高校の体育の授業ぐらいですが、ずっとラグビー ファンであったことは誇らしく思っています。(僕の母校である國學院栃木高校も姉妹校の久我山同様に花園に出場していて、それも誇らしいのですが。)
    この度、日本

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