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最終更新日時: 2012/03/08 07:20 筆者: jimukyoku 2012/03/08 07:09
★2012年3月7日受信 丸山哲史 (S14年商学部卒 株ユアーズ・コーポレーション仙台支店)
震災から3ヶ月ほどが経過した頃、東京にいる高校時代からの友人数名から、「ボランティア活動のため陸前高田や気仙沼、石巻を訪れたいが、そちらの状況はどうだ?」との連絡があった。
私の自宅がある仙台市若林区の西部は既にライフラインは完全に復旧し、物資に不足を感じることもなくなり、街の雰囲気も落ち着いているが、沿岸部は依然として過酷な状況である旨を伝えた。
詳しく友人達の行動予定を訊いてみると、週末を利用して自家用車で寝泊りしながら被災各地を巡るつもりとのことだった。東京から長距離を運転してきて、昼はボランティア活動をし、夜は狭い車内で休息を取り、翌日は移動先でまたボランティア活動をし、夜は車内で過ごす。食事は持参する食料で済ますか、炊き出しに参加しつつ、自分達もそのおこぼれに預かる算段とのこと。
その心意気には深く感動し、友人達を誇りに思う反面、強行軍のため体調を崩したり、悪路を長時間移動することから道中の安全が心配になったので、『せめてボランティアを行う前日かあるいは最終日には我が家に泊まって一息入れていってくれ。岩手や宮城県北部の被災地に向かうにはどうしたって仙台を通過することになるのだから。』と頼んだ。
「それではかえって迷惑をかけるから」と、はじめは友人達も遠慮していたが、『ボランティアは多くの人の関わり合いがあって成り立つのだから』と強引に説得した。かくして我が家は、週末に東京からボランティア活動をしに来る有志の“サービスエリア”となるのであった。
それから何組かの友人達が週末になると我が家へやって来た。彼らが無事に到着するたびに、安堵感と感謝の気持ちでいっぱいになった。高校時代はともにくだらないことばかりして遊んでいた悪友とも言える友人達が、同志を募り、車に救援物資や作業道具を積んで、仕事の合間を縫ってはるばる東京からやって来てくれる姿に、いつも胸が詰った。感謝と労いの気持ちを表すべく、我が家へ来た際の食事は私に任せてもらった。
ある時は老舗の牛タン屋、またある時は本格焼肉店、はたまた東北の選りすぐりの食材を使った居酒屋などに彼らを連れて行き、地場の旨いものを腹いっぱい飲み食いさせた。時間に余裕がある時は私が料理をし、家でゆっくりと過ごしてもらうこともあった。そういった時は、何を振舞おうか前日から仕事そっちのけで悩んだりもした。
腹を満たした後は深夜まで昔話に花を咲かせ、狭い部屋の床に布団と寝袋を敷き詰めて、人数が多いので川の字ならぬ“州”の字になって寝た。私とは初対面の仲間もいたが、同志意識があった為かお互い気兼ねせず、寛いで過ごせたと思う。
時は過ぎ、震災から早一年を迎えようとしている。
昨年12月に全ての避難所が閉鎖され、震災直後と比べれば必要とされるボランティアの性質もだいぶ変わった。我が、“サービスエリア”に訪れる客も絶えて久しい。
この一年、様々なことを経験し千々に想うことはあるが、身近なことで印象に残っていることと言えば、ボランティア活動の拠点を提供することがきっかけとなり、思わぬ形で旧友達と再会し、絆がより強くなったことだ。言うまでも無く、震災で失ったものは甚大だが、得られたものも決して少なくはない。死の恐怖と隣り合わせの混乱の中でもお互い助け合い、譲り合えることが分かった。そして世界中から国境や人種を越えてあらゆる援助と励ましがあった。
私たちは自制心や慈悲、友愛といった崇高な精神を持っていることを改めて知ることができた。これは悲惨過ぎる程の出来事から見出された、私たちの希望と誇りだ。 今、私の胸にあるのは、支援や共感を寄せてくださった全ての方々に日々感謝し、これまで以上に一生懸命、前向きに生きていかなければという想いだ。




