パンくず
ホーム / 箱根駅伝応援観戦記⑤ー往路2区・復路7区・9区・10区 (舟橋達彦・西本秀伸)箱根駅伝応援観戦記⑤ー往路2区・復路7区・9区・10区 (舟橋達彦・西本秀伸)
最終更新日時: 2012/02/14 10:43 筆者: jimukyoku 2012/01/11 07:01
★追っかけ応援の後、大学での懇親会に出席 往路2区、復路7区、9区、10区、 舟橋達彦(S46年工学部卒)
一昨年に続き(昨年は膝痛により応援を断念)2年ぶりの追っかけ応援をしました。
往路は花の2区の鎧坂選手(写真)を応援するつもりでJR保土ヶ谷駅前を計画。鎧坂選手は腰痛の為補欠となりましたが予定通り沿道へ。次期キャプテンの菊池選手の見事な力走ぶりを見て帰宅しTV観戦。
往路は全員の力の結集で見事に3位入賞し感激しました!!
翌日の復路は早朝より7区の国府津・9Km地点で北選手の2位争いの力走(写真)を見て、9区の保土ヶ谷、10区の日本橋で鎧坂選手の3位浮上を確認して、16時からのアカデミーコモンでの懇親会に出席しました。(写真)。胸に銅メタルで満面の笑みで堂々と入場する選手に、約300名の出席者一同、拍手喝さいでした。
理事長、学長のお祝いに続き、松本競走部長、遠藤競走部監督、西駅伝監督そして鎧坂主将による挨拶がありました。「W」⇒「M」とイニシャルを逆転させた事に価値あり!との事であり、因縁の早稲田には48年ぶりに勝利。
さて、来年は有望な選手が8名残ると共に今春優秀な選手が入学予定であり、1~2年内には60数年ぶりの優勝も見えてきたようである。来年の応援を今から楽しみにしている次第です。 舟橋達彦(S46年工学部卒)
★初めての箱根駅伝 復路10区日本橋 西本秀伸 (S58年法学部卒)
「メイジ!チャチャチャ、メイジ!チャチャチャ。」
2012年1月3日、12時30分、日本橋交差点「レストラン東洋」前。
息子(10歳)と娘(7歳)が、もう読売新聞の旗を振りながら大きな声で“小さな”声援を始めた。子供たちは、父親の母校が明治であること位は知っているのだが、私も妻も応援の仕方など教えたことは一度も無い。ごく自然に口から出たのだろう。スポーツ観戦の臨場感とは、そういうものかもしれない。先頭の選手が目の前を通過するまで、まだ1時間近くもあるというのに。
これまでの私の箱根駅伝のイメージは、「ながら観戦」だった。
朝刊を読みながら、年賀状の返信を書きながら、おせちの残りに箸をつけながら・・・ついでに耳を傾ける存在だった。
今年、「現場」に足を向かわせたのは、ある方との出会いからだった。昨年7月、秋葉原のUDXにて兵庫県豊岡市のPRイベントが開かれた。私は、そこに居たのだが、懇親会場の乾杯の席で、偶々、隣にいらっしゃったのが、舟橋達彦さんだった。色々なお話をさせて頂くうちに出身校の話になりお互い明治出身であることが判明したのだ。そこで恥ずかしながら、全国紫明クラブの存在を初めて知り、例会へのお誘いを受けた。ちょうど50歳も過ぎて、御茶ノ水辺りを歩いていると母校のことが懐かしく、何となく気になり始めていた時期でもあった。
幸いにもレースの状況は、隣の方の携帯電話から流れる実況放送で知ることが出来た。東洋大学の独占は、家を出る時から分かっていたのだが、いつ目の前を通過するのか待ち遠しい。広報車、パトカーが通過し、はるか向こうにテレビの中継車を発見。その向こうには東洋大学の選手がいる筈だ。明治の選手であって欲しいのだが・・・
あれだけ大きな声を出していた子供たちは、無口になっていた。生まれて初めて観る光景に緊張している感じだ。
東洋大の齋藤選手が目の前を通り過ぎる。苦痛に歪んだ顔を見て思わず子供たちと一緒に「ガンバレー!ガンバレー」。遅れること9分、駒沢大の後藤田選手が通過。「ガンバレー!ガンバレー」。明治を応援しに来たはずなのに・・・ 後藤田選手より遅れること2分でやっと鎧坂選手がやってきた。
順位のことなど、もはやどうでも良かった。懸命にゴールを目指す選手たちの姿は美しい。日頃から子供たちには、達成感を経験して欲しいと思っているが、日々の生活の中ではなかなか、そういう場面に出会うことは少ない。全力を出し切る、とはどういうことなのか、子供たちは身体全身で感じてくれたことと思う。胸の高まりと共に目頭が熱くなり涙を拭う自分がいた。
時計を見ると14時を過ぎていた。あっという間の1時間半だった。レースは続いていたのだが、娘が一言。「パパ、お腹が空いた」
駅伝観戦には、食欲を忘れさせる“効果”もあるようだ。(了)









