最終更新日時 2018-02-03 02:20:23

会員企業の紹介-私はこうして起業した⑯ 大石電機工業㈱(大石哲也) New

★大石電機工業株式会社 代表取締役社長 大石哲也(S63工学部機械工学科卒)

大石氏(左)~社会見学会にて恩師:室田明彦応用化学科専任講師と

 ・  弊社について
弊社は、昭和2年に芝浦にて「大石電気工作所」として創業しました。
昭和13年に「大石電機工業株式会社」に改組し、今年で85年を迎えます。創業時は、機械加工を行う工場でしたが、昭和10年に海軍の指定工場として、昭和20年の敗戦まで軍艦用電気器具・艤装品の製造に従事しました。敗戦後1年の休業を経て、一般商船用の電気器具の製造を開始し、復業しました。その後、昭和28年度の国家予算から、国産の艦艇が建造されることとなり、艦船用電気機器の製造を開始し、現在に至ります。
私は、所謂3代目として平成17年より代表をしています。PRは出来ませんが、国を護る防人の役に就く艦艇に装備される、艤装品の開発・設計・製造・検査・出荷までを一貫して行っています。従業員は40名です。小さいながら自身のブランドを持ち完成品メーカとして営業しています。常に先を見据えた製品開発を行いながらも、有事(地震を含み)で使用されることの無い様に、幸せを願う日々なのです。どうか「平和」について考えて下さい。

・  大学時代について
明治大学とのご縁は、付属中野高等学校に入学してからですので、早30数年になります。家業に良いということもあり、工学部機械工学科に入学しました。中々興味が持てずにいた所、入学早々、交通事故で1年棒に振ることとなってしまいました。辛い日々でしたが、考える時間が持てた事が、不幸中の幸いでした。クラブは、文化部連合会の「生田ユースホステル研究会」(現在は無)に属し、日本中飛び回っていました。長期休みは、石川県の輪島市にあった「輪島長楽寺ユースホステルで」、「ヘルパー」を楽しんでいました。因みに「理不尽」という言葉を身体で理解した事もこの頃でしょうか。。。
研究室は、「熱工学第一研究室」(現在は無)にて、太陽エネルギーの蓄熱を齧りました。元・太陽エネルギー学会会長でもあった、名誉教授・藤井石根先生の研究室でした。当時のテーマだった、太陽エネルギーを代替エネルギーとして利用する事、ヒートポンプ、スターリングエンジン等が、この四半世紀の間に実用化されてきた事に驚くばかりです。

・  会社員時代について
大学を卒業後、株式会社内田洋行に入社しました。学生時代、「開発・設計」の仕事は、センスなし!と感じていたので、専門商社に入ってドイツに行こうと漠然と考えていました。東京の本店の営業部に配属され、「営業」としてオフィス作り、店舗作り、オフィスのリニューアルの仕事に従事し、御用労働組合の仕事、新入社員訓練のトレーナー人事の仕事なども良い経験となりました。(ドイツ行きは夢でしたが。。。)入社してから判ったのですが、明大の先輩のとても多い会社でした。配属された部門に、女性が大勢いたので頭が真っ白になりました。(恥・今だから言える)なぜなら、高校は男子校、大学もほぼ100%男性のみの生活でしたので。。。ハードながら充実した4年4ヶ月でした。
当時はバブル景気で、大変忙しかった記憶があります。(何が忙しかったのか?)仕事もさることながら、会社から近い築地・銀座・新橋にもよく出没していました。ですから、睡眠時間はあまり無かったような。。。夢の中でした。丁度3年が過ぎ、「違う道もあるのかなあ」と思い始めた頃、事情により家業に入ることとなりました。今でも、自身のスタンダードは、会社員時代の経験です。比較して考えてしまいます。当時、あらゆることに挑戦したことは、私の財産です。感謝しかありません。     

この全国紫明クラブは、上田興文先輩のご紹介で入会しました。に連合駿台会、校友会東京都南部支部・品川区地域支部、紫紺クラブにも所属しています。明大は居心地のよいところだなあ。としみじみ思います。 ありがとうございました。 

大石電機工業株式会社 →HP(http://www.ohishi-denki.co.jp/

大石電機工業製品が使用されている船舶①

大石電機工業製品が使用されている船舶②

大石電機工業製品が使用されている船舶③

大石電機工業製品が使用されている船舶④


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