最終更新日時 2024-04-26 22:28:34

東日本復興支援親善試合を観戦 ~Pray for 東北~(鈴木 靖隆)

★ 鈴木 靖隆(H14商卒 ㈱TAKイーヴァック:事務局庶務)
 2012年8月18日(土)と19日(日)に仙台の日本製紙クリネックススタジアム宮城にて開催された東京六大学野球選抜チームが南東北大学野球選抜チーム、北東北大学野球選抜チーム、仙台六大学野球選抜チームの3チームと行う親善野球試合を観戦してきました。日本製紙クリネックススタジアム宮城はプロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地です。先に起こった東日本大震災の復興支援を目的として東京六大学選抜チームと東北にある大学の選抜3チームが2日間で3試合を行いました。
私は校友会宮城県支部、仙台地域支部の諸先輩方と全国紫明クラブの仙台在住の会員である阿部先輩、浅野先輩、利光先輩、小池先輩、そして東京から乗り込んだ明治大学連合父母会、江東区地域支部の先輩方、全国紫明クラブ大前副会長と大応援団の一員として、また被災地の現状を少し見させて頂く事を目的として仙台を訪問致しました。

★壮行会に参加!
試合前日の17日(金)は、仙台在住の各六大学の先輩が現役野球部員を招いて食事会を行うと言う事で、我々明治大学は校友会宮城県支部と仙台地域支部が主催して硬式野球部の選抜メンバー(キャプテン4年田中君・4年石川君・4年小室君・3年岡君・2年山崎君・主務大森君)と今回の大会開催の実行委員としてご尽力された先輩理事の高森先輩をお迎えしての壮行会となりました。

壮行会司会:浅野先輩

宮城県支部、烏山先輩の挨拶

明大硬式野球部選抜メンバー

壮行会:乾杯

★東京六大学が一体となっての野球観戦
東日本復興支援親善試合は東京六大学として1塁側で明治大学OB、法政大学OB、早稲田大学OB、立教大学OB、慶應大学OB、東京大学OBが一緒になり選抜チームを応援しました。神宮球場でのリーグ戦では対戦相手となる人達と共に観戦を出来た事はとても楽しかったです。今回東京から野球名物学生応援団の参加が無かったので、東北福祉大学の学生達による吹奏楽部・チアリーダー部の学生が東京六大学の応援としてスタンドを盛り上げてくれました。選手が活躍すると出身大学のOBは大きな歓声で応援を行い他の大学のOBも共に喜び合う、東京六大学の一員である事の一体感が仲間意識の強さを感じ、仙台の地では東京六大学の繋がりが強い事を知りました。試合の最後には明大応援団OBによる仙台と東北へのエールを行い2日間にわたる熱戦は閉会式を迎えました。

東京六大学選抜チーム

明治・早稲田・法政の校旗(観戦席にて)

応援を盛り上げる東北福祉大吹奏楽部とチアリーダー

阿部先輩の経営するリトライで応援打上

応援打上①

応援打上②

 ★震災後1年5カ月後の被災地

東日本大震災慰霊の塔

先輩に案内を頂き仙台駅からわずか30分ほどで着く名取市閖上(ユリアゲ)の被災地の現状を見ました。初めて伺った土地でしたので元々どのような地であったのか全く知らないのですが、今では瓦礫などなく一見雑草の生えた何も無い所に見えました、しかしそこには戸建て住戸の基礎コンクリートが残されており間違えなく以前は人が住んでした事がわかるけれども辺り一帯何も無い。そこにあった『日常』が津波により一瞬で破壊され瓦礫になり片付けられ『無』になったという事が想像できました。正直な第一印象は本当に津波があったのかというくらい何も無い所で1年半程前のTVに釘付けにされた悲惨な状況を、その地に立って現状をみると実感が持てませんでした。しかし破壊されたまま残されたガソリンスタンドや海岸沿いの倒された防風林は津波の破壊力を、戸建ての住戸跡地にたむけられた多くの花はそこに住んでおられた方が流され犠牲になられた事を意味していました。

破壊されたまま残る元ガソリンスタンド

今も残る被災したバイクと校舎

瓦礫だけが整理された建物跡

以前、先輩が釣りに来ていたという海岸沿いには瓦礫を処理する為か大きなプラント施設が建てられ煙をはいていました。本当に見渡す限り何も無い海岸沿いは全てを津波がのみ込み一瞬にして『日常』を奪っていったのだと言う事が想像できました。

津波の被害を受けた防風林跡

何も無い元海水浴場入口

震災前は釣り場だったと事にプラント施設が建ち煙を吐く

震災から1年半が経とうとしています。被災地のほんの一部しか見ていないけれどもそこに住んでいた人達のこれからの暮らしと復興に向けての地域経済、地場産業がどうなっていくのか。最近のニュースも東京で行われる福島原発のデモの話題はありますが、被災地の状況の報道は殆ど無いように思います。裏を返せば報道できるほど復興は何も進んでいないという事かも知れません。当時もっぱら言われていた『絆』『がんばろう東北』はどこに行ってしまったのか、違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
初めての仙台で、明大OBと東京六大学の元気な先輩方と沢山笑い沢山お酒も飲みました。仙台の地で私が拝見した東京六大学の繋がりの強さがきっと復興に役に立つと思います、そして東北地方の大学との繋がりも知る事ができました。今の私には復興に向けて何もできません。しかし自分も東京六大学の一員である事の誇りだけは持ち続けて参ります。
貴重な経験を有難うございました。先輩方には大変お世話になりました。がんばろう日本!

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