最終更新日時 2024-04-26 22:28:34

3.11から1年  東北からのメッセージ⑦ (上西紘治)

 ★2012年3月20日受信  「1年後の震災地を訪ねて』 上西紘治  (S41年工学部卒 全国紫明クラブ会長)

平成24年3月18、19日の2日間で岩手、宮城の震災地を訪ねてきました。
このホームページ上にも多くの会員の皆さんから、現地の震災状況や復興に携わっておられる様子等のメッセージが寄せられております。それを拝読するにつけ、私もこの目で確かめたい衝動にかられ、急遽ツアーに申し込み参加しました。

訪問先は宮古市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、松島と三陸沿岸をバスで南下するコースで、ツアー参加者は40名と観光バスは満席の状況でした。現地の様子を目の辺りにし、罹災者やガイドの説明を耳を傾けながら、ただただため息をつくばかりでした。
あれほどテレビや新聞で見たり聞いたりして衝撃を受け涙したのに、現地に立って見る真実はそれをはるかに凌ぐものでした。

震災地の皆さんに何かしたい。今私たち個人としてできることは、震災地の米や肉、魚、野菜を食べ、酒を飲むこと。現地を訪れ、自身の目で被災地を見ること。現地の経済復興の多少なりとも役立つし、将来の防災への取り組みにも役立つと思います。是非皆さんも現地を訪ねてみてください。

現地の人の証言
●スーパー防波堤は『万里の長城』と呼ばれ絶対的なものだった。(宮古市田老地区)
●今朝のNHKテレビで観光船の運行再開が報じられ、私の顔が全国に流れた。(浄土ケ浜 観光ガイド)
●水が膝まできたらもう走れなくなった。(陸前高田市)
●家族の誰か一人でも生き残ってくれれば思いは後世につなげられる。(陸前高田市)
●この4月から防災無線アナの話が埼玉県公立学 校の教材になる。(南三陸町)
●湾の中を津波が渦を巻いていた。一波より二波の方が大きかった。(気仙沼市)
●地元の消防隊ではどうすることもできなかった。12日には東京から消防隊が来てくれて火は消えた。(気仙沼市)
●津波が900人の小島を襲ったが犠牲者は一人も出なかった。強い人のつながりと防災意識があった。(松島)




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