最終更新日時 2018-05-28 14:31:01

私の趣味ー『狛犬』 第10回 (藤山正純) 

私の趣味 「狛犬」 第10回     藤山正純  (S47 政経 藤山正純法務事務所)

2.狛犬各論
(3)関西の狛犬たち

 狛犬が石像化されたのは、その耐久性が優れていたからですが、耐久性が必要になった理由は、やはり露座に置いたとき風雪に耐えることが必須条件だったからにほかなりません。
 また、それを露座に置こうという動機としては、①信仰心②氏子組織の結束の象徴③財力の誇示などが考えられ、さらに④永遠に世に残したいという欲求が根底にあったと思います。
 石像化が始まった頃の狛犬は、どの地域でもごく小さな像だったようで、肥前狛犬などはその代表格ということができると思います。1700年代には今見ることができるような、獅子型でサイズも大型のものが普及していきます。これは当然、見栄えの良さが追求された結果であり、また大きな原石を使うことのできる経済力を氏子が備えつつあったことの証でもあります。狛犬の値段は、基本的に原石の大きさに比例するからです。ただしそれらはまだ荒削りで、前回「東京の狛犬」で見たように、無骨で垢抜けなさを感じさせるものでした。

 ①大阪の狛犬(プレ浪花型)
 大阪で最古とも二番目とも言われる住吉大社の狛犬(写真①)は元文元(1736)年の銘を持っていて、江戸で言えばプレ江戸型の時代ですが、これは浪花型登場以前のプレ浪花型というべき狛犬です。古風な感じこそ受けるものの、各部の彫刻は細密で装飾技術の高さが際立っています。やはり当時はまだ、狛犬文化に関しては、上方の方が一枚上手だったことが推察されるサンプルです。しかも体長133㌢だそうですから、当時としてはかなり大柄でした。

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 写真①  大阪市住吉区住吉 住吉大社のプレ浪花型

 この狛犬をよくご覧下さい。ア・ウンで耳の形が異なることにお気づきでしょうか。また、ウンの頭頂には小さな角が施されています。平安時代に狛犬が登場したときのことを思い出して頂きたいのですが、当時は「しし・こまいぬ」と呼び分けられていた通り、ア像は唐獅子、ウン像は狛犬であって、異なる動物の組み合わせでした。そして「獅子は垂耳、狛犬は立耳で一角を有する」と認識されていたのです。写真①の狛犬は、その伝統を忠実になぞっていることが分かります。やがてア・ウンはどちらも獅子型で統一されてしまうので、古式を残す貴重な存在でもあります。

 ②大阪の狛犬(浪花型)
 江戸に「江戸型」があるように、大阪にも「浪花型」と称すべきご当地狛犬がいます。江戸型の成立が化政期と推察されるのと同じく、浪花型もやはりその頃にデザインとして確立したもののようです。写真②は化政期(19世紀前半)の作と思しき浪花型です。丸い目と愛らしい口元が特徴で、風化が著しいためやせ細っていますが、本来はやや豊満で柔らかそうな体つきをしていたはずです。この型は砂岩製なので、精巧な彫刻が可能な半面、耐久性には問題があるという宿命を抱えています。

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                          写真② 大阪市生野区桃谷  御幸森天神の浪花型

 ③京都の狛犬

  京都の狛犬の変遷については、サンプル数が少なく、よく把握できていません。しかも、皇居の所在地として千年間も日本の中心であり続けた土地柄のせいか、各地の狛犬が多数進出してきており、京都独自のローカルな狛犬の存在を抽出することができないでいます。私の少ない見聞の中でも、浪花型(大阪)、岡崎型(中京)、出雲型(島根)などが混在していて、さすがと思う一方、少し物足りない感じを受けているのも事実です。今後、これが京都風だと言える狛犬に出会うことを楽しみにしていたいと思います。 

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                  写真③  京都市中京区下御霊前町  下御霊神社の浪花型
 写真③は浪花型です。耳の造り分けがあり、ウンが一角を有する点でも伝統的な造形です。ただし本場の浪花型と違って、こちらは砂岩製ではありません。その分、髪の流れ方やその他のパーツを見ても硬質感があり、本場ものに比べると流麗さにはやや欠けるかも知れません。

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                      写真④  京都市上京区桜井町  首途神社の狛犬

写真④は首途神社の狛犬です。首途と書いて「かどで」と読む難読社名です。その由来は、源義経が奥州に赴くにあたり、安全祈願をしたことに因んでいます。系統はよく分かりませんが、京都では比較的多いタイプです。ふさふさした髪、たっぷりした尾の量感など、装飾性に富んだ造りが豪華で、これが代表的かどうかは分からないものの、京都らしい感じのする狛犬です。

 ④奈良県の狛犬

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                       写真⑤  奈良市春日野町  氷室神社の丹波型  

 京都の前に都だったのがこの奈良です。奈良が皇都になったのは西暦710年のことです。

「なんじゅうと並ぶ柱の平城京」と覚えたものですが、今の子供達はどのようにこれを習っているのでしょうか。奈良駅から猿沢池や興福寺を巡って、春日大社、東大寺、手向山八幡宮などを参拝した思い出は、懐かしく楽しい記憶でいっぱいです。

 写真⑤は丹波型と呼ばれているものです。奈良県でも京都と同じく、その土地ならではのローカル狛犬には出会うことができませんでした。なお、丹波型は出雲型との違いが明確ではなく、実は同じものではないかと考えているのですが、そのあたりをどなたかにご教示いただくことができれば幸いです。

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                       写真⑥  奈良県生駒郡斑鳩町  秋葉神社の浪花型

 写真⑥は丸っこい体型が肉付きの良い赤ちゃんのようであり、顔立ちも人なつっこく笑いかけているように見えます。嘉永3(1850)年の作品ですが、浪花型が大阪で確立したのが19世紀前半と思われますので、その2、30年後には早くも奈良県に到達していたことを示すサンプルです。耳の造り分けはないようですが、ウンには一角があって、浪花型の様式を承継していることが分かります。

 

 京都、大阪、奈良はいずれも古代に皇居のあったところで、とりわけ奈良は大和政権の発祥地として特異な存在感を放っています。邪馬台国はどこにあったのか、卑弥呼はどこにいたのか、大和政権は邪馬台国の後継者なのか、などについて、江戸時代以来熱い論戦が交わされてきたことはご承知のとおりです。佐賀県には有名な吉野ヶ里遺跡もあり、私としては邪馬台国九州説に与したいところですが、このところ、論戦は影を潜めているように見えます。

諸説が出尽くして、「もはや『卑弥呼』と書いた表札でも出ない限りは決着しない」とさえ言われる古代史最大の謎が、科学技術の進歩や考古学の発展によって、いつの日か解き明かされることを期待しつつ、関西の狛犬の項を終えたいと思います。(つづく)

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