最終更新日時 2018-07-06 10:20:59

年男、今年の抱負を語る① (竹下衛司)

昭和42年工学部建築学科卒
株式会社竹下設計(千葉・茨城) 代表取締役 竹下 衛司 氏竹下衛司氏

皆さま明けましておめでとうございます。温暖な正月でした。

私は本年のこの正月にて6回目の年男となりました。そして2月には満72歳ということになります。目出度いのか、目出度くないのか分からない気分になりますが、自分が辿ってきた道程、自分史を遡って帰り見る機会になりました。

72年の間、お蔭様で一回も病院に入院することもなく、今なお現職の責任者として健康体で、本年を迎えられたことを本当に感謝するものです。

「人はその時代の中で生きなければならない」と言われます。

昭和60年。私が41歳の時、務めていた大手の設計事務所から独立致しました。

経営の足元が全く出来ていない直後の3年目でした。「平成3年」。天地をひっくり返す、あの「バブル崩壊」の大激震の直撃を受けることになったのです。

そして、その後、時代は「失われた20年」と言われる五里霧中の「デフレ時代」に入って行くことになったのです。

多くの中小微細業者の皆さんも同様であったと思いますが、経営上過酷な時代でした。

私も経費を詰めるため東京都知事登録から自宅のある茨城県知事登録に移しました。

しかし、苦戦の連続で深夜、冬の夜空の星座を見上げたこともよくありました。

「山あり谷あり」と言いますが、谷の向こうに山はなく、際限のない谷の連続だったと言うのが、まぎれもない実感でした。初心を忘れることなく生き残って行くのが精いっぱいの日々でした。

平成19年。協力者を得て、以前からの構想であった茨城、千葉の県境である利根川を超え、千葉県知事登録と別法人登記による併設を行いました。私が65歳の時でした。

漸く茨城だけの閉鎖的な空気感から脱却し、千葉、東京の広域空気感へと広がったのです。

このことが少なからず、本来の前向きな活力源となって、次第に広域への旺盛な行動力を取り戻し、現在に至ったのです。

しかしながら、やらなければならないことが沢山残ってしまっているのも事実でした。

明日に備え、長年に渡って抱き続けてきた構想、宿願を整備しなければならない時に来ているのです。前々から本年をそのための「宿願結実」の年と位置付けて来たのです。

資金調達、人材の確保など流動的な問題もありますが、千葉、茨城、東京、埼玉に渡る人材のネットワーク体制を一層強化して行きたいと考えております。

終わりに、今後も校友会の集会は竹下にとって得難い機会として、財産として継続、参加していく考えでおります。どうぞ宜しくお願い致します。

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