最終更新日時 2022-12-15 16:44:38

地方会員たより(藤山正純氏) 

「あの頃」のことや「旧友」のことなど

                  昭和47年政治経済学部経済学科卒 藤山正純

私が明治大学を卒業してから、もう40年以上が経過しました。私が在学していたころのできごととしては、三億円事件をはじめ新宿騒乱事件、東大安田講堂事件などが世を驚かせたり、京王プラザホテルが竣工して超高層ビルブームのさきがけとなったことなどが印象深く、また野球ではジャイアンツがV9に向かって連勝を重ねていましたし、大相撲では横綱大鵬が土俵に君臨していました。競馬では、タニノムーティエが胸のすく走りでライバルの巨漢アローエクスプレスを破ってダービーを制したこと、関西の女傑トウメイが天皇賞、有馬記念を連覇してファンをアッと言わせたことなどが特に記憶に残っています。そして、当時の総理大臣は佐藤栄作氏、東京都知事は美濃部良吉氏でした。

普通ならすっかりセピア色に褪色しているはずの思い出の数々ですが、私にとっては、それらは依然としてフルカラーで蘇る記憶であり、日常的な些末なできごとをも回想することができるのです。それは何といっても、東京という超巨大な町が放つ圧倒的なパワーと、日本で最高のものはすべてこの町に存在しているという実感によって、日々が深く印象付けられた濃密な時間だったからだと思います。

私はその後、地元である佐賀県で就職し、平成20年に60歳で定年退職しました。

そして今は行政書士という仕事に就いています。行政書士の業務範囲は極めて広く、そのすべてに精通している人はほとんどいないと思います。まして「六十の手習い」で始めた私には、それを目指す時間も能力も全く足りませんでしたから、専門分野を絞り込んで、相続や事業承継に関わる分野に特化することにしました。当時すでに、家事事件のうち遺産分割事件の急増が取りざたされていました。つまり遺産争いが公的な場に持ち込まれるケースが増えて、かつては「内輪のもめごと」だったものが、白日の下にさらされ、衆目を集め始めていたのです。これはこの問題がもはや内々での解決が困難となり、調停や裁判の力を借りてしか決着できない課題になったことを意味しています。

しかし、このような「紛争」に発展してしまった事案は弁護士の専権事項であって、行政書士が関与することはできません。そこで紛争に陥らないような手だてを講じることが肝心となります。またそれが当事者にとっても幸せなことです。その手立てとは、やはり遺言書を作成することです。これについて詳しくお話しするには紙幅が足りないので、有効な遺言書に書かれたことは法的に担保されますし、何より紛争の抑止力になり得るということをお伝えするにとどめたいと思います。

さて、私が東京での生活を満足とともに振り返ることができる要素のひとつに、人との出会いがあります。友達だけでなく、バイト先の仲間やちょっと知り合っただけの人たちまで、誰もが田舎から出てきた少年にとても親切でした。見ず知らずの土地に一人で暮らし始めて、多かれ少なかれ不安を抱えている人間にとって、これはとても有難かったと今でも感謝しています。そんな人たちの中でも、とりわけ印象的だった同級生がいました。

新宿の地下街が遊び場だったという都会っ子で、思考回路も行動も軽快なその人は、卒業後、大手ゼネコンに就職しました。海外赴任歴が長く、何かと大変だったはずですが、彼自身は全く苦にもしていない様子でした。本人は電車で隣町にでも出かけるような感じだったのでしょうか。付き合いが長くなって改めて思うのは、この人は生まれながらの「ネアカ」なんだろうな、ということです。その頃も今も、彼からネガティブな話を聞いたことはありません。常に肯定的で、還暦をとっくに過ぎた今でも、昨日より明日に目を向けているような人です。

その人は、全国紫明クラブ会長の眞柴眞明さんです。卒業後、東京でお会いしたことは一度もありませんが、逆に、私の住んでいる佐賀にしばしば足を運んでくれて、いつも決まった居酒屋で杯を交わしています。見かけこそ年齢相応になりましたが、声や話し方は青年時代とちっとも変っていません。またその話題にも回顧的なところはなく、いつだってこれからの話ばかりです。そういう飲み会が楽しくないわけはありません。歯切れの良い語り口に耳を傾けながら、いつしかすっかり気持ちよくなっているのが常です。しかし眞柴さんが佐賀にくるのは、旅行ではなくて、九州の近県での仕事を終えたあとなのですから、大変なご負担をかけているわけでいつも申し訳なく思っている次第です。

彼が全国紫明クラブの会長に就任したとき、異業種交流には全く適任だと思いました。

社風も志も違う異業種のひとたちをリードしていくためには、彼の突き抜けた「ネアカ」さやエネルギーが欠かせないものです。今でも会社の要職にあって第一線で活躍中の身でありながら、紫明クラブの仕事も加わって多忙を極めているはずなのに、忙しさに対する愚痴などは聞いたことがありません。それは彼の一種の矜持なのかも知れませんが、ひょっとしたら、この人は自分の忙しさに気が付いていないのかも知れないと思うほどです。そうであれば、どうかこのまま、それに気付かずに当たり前のように突進し続けて欲しいものです。

紫明クラブのHPを拝見しながら、明治大学在籍という人生の短いひとこまをかけがえのない経験として、幅広い世代の人たちと共有できていることに感謝しています。クラブのご発展と眞柴会長の末永いご活躍を祈念しながら、地方会員の近況報告といたします。

眞柴会長と

 

眞柴会長と

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