最終更新日時 2018-12-09 13:25:56

会員企業の紹介ー私はこうして起業した⑫ 秀峰堂 (武内裕)


★秀峰堂 代表者 武内 裕 (S61年 法学部卒)
◇京都から明治大学を目指す

武内 裕

 中学3年生の時、六大学野球で明治対法政を見て、満員の神宮球場の応援合戦の盛り上がりがすごいなーとおもっていました。冬にはラグビーでも国立競技場が超満員になるなど、関西の大学スポーツとは比べものにならないので東京の大学に行きたいと思っていました。 高校生の時、すでに小物の制作(箸置きなど)をしており、結構注文ももらっていたので、自宅から近い大学に行って仕事をしながら大学にいけばいいと思っていた時もありましたが、一度家を離れて視野を広げたほうがいいと思い、親の反対を押し切って上京しました。
 大学時代はあまり勉強はしなかったです。卒業さえできればいいと思っていたので、テニスサークルに入って遊んでいました。そのサークルで今の妻と出会いもう25年経ちますが、ほとんど喧嘩もせず3人の子供にも恵まれたことは良かったと思っています。

◇陶芸家を目指す
 昭和61年明治大学卒業後、京都府陶工訓練校成形科でロクロ技術を習い陶芸家を目指して勉強に励みました。
   私の家系は、明治14年に福島県会津にて曾祖父が千山(チザン)という雅号で開窯し、昭和14年に祖父が秀峰という雅号で京都の開窯し、父が3代目としてして継いでいますので家業だからということで職業として目指しました。
  私は絵を描くのは好きじゃなかったのですが、造形は子供のころから好きでしたので、物心ついた頃から粘土細工はしていました。今はもっぱらデッサンの毎日ですがやっぱり絵は上手くないなーと思っています。

◇一珍について
  今、主として食器を作っています。毎年春には銀座で個展を開催しています。伝統的な染付して失われつつある一珍(イッチン)という技法を織り交ぜ、色鮮やかな作品を得意としています。一珍というのは、泥状の粘土を柿渋で固めた和紙を円すい形にした筒の中に入れ、先に真鍮製の先金を付け、そこから糸状に絞り出しながら茶碗とか皿の素地に張り付けて模様にするもので、それぞれの道具も入手しにくくなっていて、失われつつある技法とも言えますが、私はこれが自分の道だと思っています。

作陶中の筆者

絵付け用小道具

下絵を写す

一珍の作業





◇陶芸家としての将来の夢
実用食器を主に作っていますので、使う人が楽しくなるものを作っていきたいと思っています。芸術家というよりも、工芸家として職人の術を向上させたいとおもっています。もっと多くの人と交わり、多くの物を見て、勉強をしたいと思っています。

京焼 作陶展作品の数々

作品の数々














コーヒーカップ

小皿

小皿 絵模様

珈琲カップ

  

                         

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