最終更新日時 2018-08-17 13:29:51

私の趣味ー『狛犬』 第8回 (藤山正純) 

私の趣味「狛犬」第8回        藤山正純  (S47 政経 藤山正純法務事務所)

2.狛犬各論
(2)佐賀の狛犬たち
佐賀県では、肥前狛犬が石造狛犬の嚆矢です。そして1600年代を通じて、多少の変化を遂げながら、生産が続けられました。1700年代は、全国標準とも言うべき「獅子型」の狛犬に席巻され、肥前狛犬が絶滅に向かう世紀でした。1800年代に入りますと、その「獅子型」も整理統合が進み、佐賀県内で有力だった石材業集積地ごとに、砥川型(とがわ=現小城市)、塩田型(しおた=現嬉野市)、唐津型(からつ=現唐津市)と呼ぶべき3系統に集約されていきました。そして1900年ころには、工具や技法の発達とともに、妍を競うようにその特質が強化、洗練されて、それぞれにご当地狛犬としての地位を確立していったのです。
このように、大体100年を区切りとして、新しいトレンドが形成されていったように見えます。しかもその変化は、ちょうど世紀の変わり目頃に始まったように見えるのが、ちょっと不思議なところです。それだけでなく、江戸型や浪花型をはじめとして、全国的に同じような周期で変化を遂げているように見えるのです。もしそうであるとすると、狛犬の変化はいつも、全国で一斉に起こったことになり、江戸時代の情報伝達のスピードは、想像するよりずっと早かったと考えなければなりません。もっとも、全国の狛犬に対する私の知見はあまりにも乏しいので、これは想像の域を出ないものです。
 今日、佐賀県で普通に見ることのできる狛犬としては、上記の地元3系統に加え、県境を接している福岡県久留米市に本拠地のある「筑後型」も有力です。すなわち、佐賀県の狛犬を整理すると、①砥川型②塩田型③唐津型④筑後型の4系統ということになります。中でも砥川というのは佐賀県小城市牛津町砥川地区を指し、江戸初期以前から石材産業の発達した地域です。塩田石工も唐津石工も、この砥川から出た人が創業者となって発展させたものであり、砥川は佐賀の石材業の発祥地ということになります。

 ①砥川型
 足元の盤の前方に自然石風の前立てを施し、狛犬はその岩に両前肢を掛けて、半ば立ち上がった姿勢を取るのが定番です。体が寝ているので全高は60~70㌢と低く、また各部の装飾も簡素なため、第一印象に派手さはありません。しかし全体を仔細に観察すると、きりりと吊り上がる眉や膨らんだホホ、伸ばした後肢など、溌剌とした動感に満ちており、初陣に臨む少年のような勢いの良さがあります。(写真①)
後年、この岩狛の進化形として、リアルな動感を強調した「恐竜型」写真①-2が出現しました。

写真①佐賀市大和町印鑰神社の砥川型

写真①佐賀市大和町印鑰神社の砥川型

 

写真①-2 「岩狛」の進化型「恐竜型」

写真①-2 「岩狛」の進化型「恐竜型」

 私の分類では、砥川石工が開発したこの形を「岩狛」と名付けていますが、「岩狛」は狛犬の最も基本的な姿勢である「蹲踞(そんきょ=お座り)」の常識を大きく破った、画期的な新機軸であったと評価しています。ちなみに写真①は文久3(1863)年の作品です。
話は逸れますが、私は浪曲が好きで、とりわけ二代目広沢虎造の洒脱な江戸弁に魅了されていますので、あの森の石松の「寿司食いねえ」の名場面では、何回聞いても顔がほころんでしまうのです。その私から見ると、石松が仇敵都鳥一家の手に掛かって、閻魔堂の前で憤死したのが文久2年ですから(広沢虎造口演)、その少し後に奉納されたものだと思うと、どうしても一本気で向こう見ずな石松の姿にダブって見えて、この狛犬が大好きなのです。

 ②塩田型
 砥川で修行した筒井惣右衛門(元和3(1617)年生)が、塩田石工の祖となりました。以来、筒井石工は塩田の代表的な工人一門として栄え、今日に至っています。当時の塩田村は山に囲まれた狭小な寒村で、農業生産力に乏しかったために、手工業が発達したと言われる土地柄です。しかし良質の石材に恵まれ、また、塩田川を通じて有明海の水運を利用できたことが、重い石製品の輸送を容易にし、県内各地に拡散していったと考えられます。

 塩田型は砥川型の基本形を継承しながら、細部に精細な彫刻を施したきめの細かさが特徴です。髪や尾の毛筋は、規則的で美しい平行線を保って長く伸びています。また前立ての岩にはボタンの花と葉をあしらうのが常で、時には狛犬の体部にまでそれが及んでいます。 この型の印象は、流麗かつ優雅と表現できます。写真②は天保9(1838)年の作品です。

  写真②佐賀県みやき町 物部神社の塩田型


写真②佐賀県みやき町 物部神社の塩田型

 

写真②-2佐賀の狛犬には珍しい、横に流れて垂れる装飾的な尾

写真②-2佐賀の狛犬には珍しい、横に流れて垂れる装飾的な尾

③唐津型
 そもそも肥前石工が活躍するきっかけとなったのは、豊臣秀吉が朝鮮出兵のための基地として、肥前国名護屋(現唐津市鎮西町名護屋)に大がかりな城(名護屋城)を築いたことでした。この城は五重の天守を備えた大規模なもので、築城はまさに国家的プロジェクトでした。
城の周辺に密集していた陣屋の配置図を見ても、徳川家康、伊達政宗、上杉景勝、前田利家、さらに実際に海を渡った宇喜多秀家、加藤清正、鍋島直茂、黒田長政、島津義弘、福島正則、毛利輝元など、誰でも知っている戦国のスター達の名前がきら星のごとくに並んでいます。
ここは東松浦半島の突端で、当時は淋しい漁村に過ぎず、地の果てのようなところだったはずですが、そこに日本の最有力な大名達が終結し、たちまち人口10万人の都市が出現したのです。1600年頃の日本の人口は、多く見積もったものでも2,000万人足らずらしいので、現代との人口比で考えると70万都市に相当する規模です。この寒々とした場所に、相模原市や静岡市などの政令指定都市に匹敵する町が急に誕生したわけですから、それはもう、大変な騒ぎだったに違いありません。
その城も今は、玄界灘を臨む高台に広大な石垣の跡を残すのみで、まさに「つわものどもが夢のあと」です。
 その城の石工事のために、砥川の石工衆が参集して腕を競っていたのです。その中の徳永九郎左衛門俊幸という石大工の子孫が、当地に定住したのが唐津石工の始まりです。
塩田型が基本的には砥川型を継承したのに比べ、唐津型の狛犬は他の2派とは大いに作風を異にしています。現在の佐賀県の大半は鍋島氏が治める佐賀藩でしたが、この唐津だけは幕府の直轄領だったことと関係があるかもしれません。そのため殿様は転勤族であり、後に天保の改革で有名になったあの水野忠邦も、若い頃は唐津藩第11代城主でした。そうしたことから、同じ県内ながら唐津は佐賀とは何かと気風の違いがあり、狛犬にもそれが反映しているのではないかと思われます。写真③は大正13(1924)年の作品です。

写真③唐津市玉島町 浜玉神社の唐津型

写真③唐津市玉島町 浜玉神社の唐津型

 

写真③-2万葉歌人にも歌われた玉島川の清流

写真③-2万葉歌人にも歌われた玉島川の清流

 非常に怖い顔で、やや首をかしげて参拝者を睥睨しているのが唐津型の特徴です。胸には腹部との境界を示す横一文字のエッジがあり、シャープな印象を強めています。
どこか愛敬のある砥川型や塩田型とは一線を画していて、狛犬の本来あるべき忿怒相の表現としては、唐津型が最も優っていると言えるでしょう。
 この浜玉神社は神功皇后を祀る神社で、皇后自身が釣り糸を垂れたという玉島川のほとりに鎮座しています。万葉歌人の大伴旅人は、「鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ」などの歌を残していて、皇后伝説が意識された作品であるようです。旅人は隼人の乱の鎮圧や、大宰府の長官として赴任経験があり、九州には大いに縁のある人です。

 ④筑後型
 「筑後」というのは、福岡県の南西部に当たる地域の呼び名で、九州一の大河筑後川を挟んで、佐賀県と隣接している土地です。筑後地方の代表的な町である久留米市を発祥地とするのが「筑後型」狛犬であり、地理的に近い佐賀県東部地区(鳥栖市周辺)では、この筑後型がかなり優勢です。久留米では渡来系の一族とみられる「秦」氏が古くから石材業を手がけていたらしく、狛犬の作者としても有力な一派です。彼らがいつごろから活躍していたのかは分かりませんが、筑後型狛犬に関して言えば、1800年頃から作品が残っています。
写真④は嘉永7(1854)年の作品で、石工は秦一門の秦仙次郎です。

写真④ 鳥栖市姫方町 姫古曾神社の筑後型

写真④ 鳥栖市姫方町 姫古曾神社の筑後型

写真④-2ドリルのような髪の渦

写真④-2ドリルのような髪の渦

  筑後型は大柄で肉付きが良く、重量感に富んでいます。髪や尾に細かい毛筋は付けず、ざっくりした省略的な表現であるのも、豪快な体つきには良くマッチしています。渦にも毛筋はないので鋭利なドリルのような印象です。狛犬の前肢の位置はきちんと揃えるのが一般的な中、筑後型では写真のようなオープンスタンスまたはクローズドスタンスが普通であり、このちょっとした違いが、大きな視覚的効果を生んでいると言えます。指摘されないと気付かない程度の違いですが、狛犬を鑑賞する上では案外重要な意味を持っていることも多いのです。

 以上、佐賀県でよく見られる4系統の狛犬をご紹介しました。狛犬に馴染みのない方には違いがあまり分からないかも知れませんが、少し見慣れてくると色々な発見があり、鑑賞の楽しみを増やしてくれるはずです。次回は目を全国に転じて、各地の狛犬をご覧いただくことにします。「ところ変われば品変わる」の例え通り、あちこちに独自の狛犬文化が育っていることに、新鮮な驚きを感じていただけるものと期待しています。(つづく)

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