最終更新日時 2022-12-15 16:44:38

「第25回出雲全日本大学選抜駅伝競走」応援記 (村中直樹) 

出雲の地に翻る紫紺の応援旗!

~「第25回出雲全日本大学選抜駅伝競走」応援記~

左から:筆者村中直樹氏 文元選手 石川氏

左から:筆者村中直樹氏 文元選手 石川氏

日本中の八百万の神様が在らせられる“神在月”の島根県出雲地方。折しも今年は60年に一度とも言われる出雲大社の大遷宮の年であることも重なり、全国からの多くの観光客で賑わう平成25年10月14日。天候にも恵まれた素晴らしい秋空の下、「第25回出雲駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝競走)」が開催されました。

出雲駅伝での母校明治大学の応援にあたっては、明治大学校友会島根県支部が「明治大学出雲駅伝実行委員会」を組織し、島根県の校友はもとより、近隣の広島・鳥取県支部・父母会、兵庫県校友会の方々等、明大大応援団を立ち上げての応援が展開されました。そして、我々「明治大学平成白熱党」の面々も母校明治大学の応援に馳せ参じました。

1.駅伝応援

出陣式

出陣式

 出雲駅伝は、出雲大社をスタートし、ゴールの出雲ドームを目指して出雲市内を駆け抜ける全区間6区間の延長44.5㎞のコースが構成されています。大会競技に先立って、大会のコースでもある神門通りに面した出雲商工会館において、大学・競走部関係者、明治大学応援団等とともに、母校の勝利を期して大々的に出陣式が開催されました。応援団のリードの下に全員でスクラム校歌を斉唱し、いやでも応援への気概と熱気が高まります。そして13時。各大学等を代表する第1区の選手が出雲大社正面鳥居前を一斉にスタート。母校明治大学の第1区は廣瀬大貴選手(4年)です。応援歌「紫紺の歌」が流れる我々明治大学の大応援団の前を、他大学等の21名の選手とともに疾走していきました。

高橋団長のリード

高橋団長のリード

 その後、明大大応援団は数台の大型バスに分乗し、バス車内では駅伝のテレビ中継により第2区の八木沢元樹選手(3年)の応援を続けながら、第3中継所の平田中ノ島へ向かいました。そこでは第3区の大六野秀畝選手(3年)と第4区の牟田祐樹選手(2年)の襷の引き継ぎを応援します。先頭のランナーが見えてきます。「おっ、あの色は紫紺か???」と思いきや、のちに優勝したK大学です・・・。「う~ん、ちょっと残念。さては次か?」。その後も他大学が続きます。「せめて“エンジ”の色のW大学だけには負けないぞ!」と応援にも力が入ります。するとW大学の選手が襷をつないだその次に、息も絶え絶えといった感じで全力を出し切った大六野選手から牟田選手へ紫紺の襷が見事につながれました。

 明大大応援団も再び大移動です。ゴールの出雲ドーム付近で三度の応援です。

沿道に陣取る応援団

沿道に陣取る応援団

テレビ中継では第5区の横手健選手(2年)から第6区の文元慧選手(3年)へ無事に襷がつながれたか確認できませんでした。それゆえ「今、文元選手はどこを走っているのか?大丈夫か?」。少々頭の中に不安がよぎります。しかし、明大応援団の応援もさらに盛り上がります。秋とは思えない暑さの中での応援です。応援歌とチャンスパターンメドレーによる応援が休むことなく続きます。応援指導班・チアリーダーの団員の額からは濁流の如く汗が流れ落ちます。吹奏楽部の団員も楽器を吹き続けています。そして、最後は高橋団長のリーダーにより明治大学校歌が流れます。集いし明治大学関係諸氏の明大大応援団も拳を上げて校歌を斉唱して応援です。1位独走状態の先頭のランナーが見えてきました。先頭はまたもやK大学。その後は続くようにあの“エンジ”のW大学のランナーも目の前を通過していきます。「明治はどうした!明治大学の選手は何処なり???」。選手に負じと明治の大応援団の応援も最高潮に達します。すると紫紺のランナーが見えてきました。文元選手です。すぐ数メートル後ろには同じ東京六大学の“オレンジ”H大学のランナーが。まさにデッドヒートで我々の前を文元選手が通過していきました。

.法政とのデッドヒート。文元選手(6区)

.法政とのデッドヒート。文元選手(6区)

 今大会では母校明治大学はゴール直前でのH大学とのデッドヒートを制し、7位に入りました。昨年の11位より順当に順位をあげての結果です。また、第2区の八木沢選手は区間賞を獲る活躍でした。これは来年の出雲駅伝に確実につながる結果であることはもとより、来月の熱田神宮から伊勢神宮へと駆け抜ける「第45回全日本大学駅伝(全日本大学駅伝対校選手権大会)」に、ひいては来年正月の「第90回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)」につながるものと確信しています。頑張れ!!明治大学競走部!!

2.「さよならパーティー」
出雲ドームでの大会閉会式の終了後、夕方からは場所をかえて島根ワイナリーで「さよならパーティー」が開催されました。ラグビーで例えればノーサイドと言ったところでしょうか。今大会の全出場大学等22チームの全選手と大学関係者等が参加しての打ち上げパーティーです。どれだけの人数の参加者でしょうか。勿論、数えきれるわけがありませんが、それだけ多くの人が集ったパーティーです。焼肉や地元の名産珍味を酒の肴にしてパーティーは盛り上がります。お酒が入り時間が経つにつれ、自校の席をたって、他の大学等の選手や関係者と杯を交わし交流が深まります。日中の大会の時と打って変って、大学間の垣根を越えて選手間で笑い声が飛び交います。実に素晴らしい光景です。そして、さらにパーティーを盛り上げるのは各大学応援団・OB等による応援ステージ披露です。会場内に設けられた特設ステージの檀上において繰り広げられる応援合戦。我が校こそが一番だ!との気概で応援が盛り上がります。遥かアメリカ合衆国から来たアイビーリーグの選手達。国籍に関係なく参加者が入り乱れて歓喜で溢れかえっています。

MEIJIの名前が輝きます

MEIJIの名前が輝きます

ステージには多くの応援団員を擁する大学がある一方で、応援団員が少数の大学もあります。しかれども、ここに集いし応援団の規模や人数の多寡は全く関係ありません。どの大学の応援ステージでも、みんなが一つになって大きな歓声と拍手をもって応援を支えます。この心の機微と繋がりというべきものに、大きな感動を受けざるを得ませんでした。

でも、なんと言っても“明治がナンバーワン”。そこは東京六大学の雄。他の大学応援団の追随を許すことなく明治大学応援団のステージは最高でした。明大関係者のみならず、会場にいる参加者は明治大学応援団が見せる応援ステージに釘付けとなり、まさに拍手喝采でした。そして、最後は勿論明治大学校歌です。誰いうことなく明大関係者が我先にとステージに駆け上がり、全員でスクラム組んでの校歌斉唱です。はるか神田駿河台の地から離れた出雲の地に響き渡る明治大学校歌。この感動と感激はまさに筆舌に尽くせないものでした。

なお、明治大学に続き応援ステージの取りは早稲田大学でした。諸事情もあってか早稲田大学応援部吹奏楽団は参加していませんでした。そこで東京六大学の友情応援と紹介された明大応援団吹奏楽部が「紺碧の空」を演奏するとともに、応援指導班とチアリーダーが会場内でともに早稲田大学の応援ステージを盛り上げました。ここにも明治大学の素晴らしさと、ひいては東京六大学の結び付きの強さを、出雲の地において多くの方々に広く知っていただくこととなりました。

出雲を中心とした島根とその近隣の中国地方の明大校友に支えられた出雲駅伝応援。地元の校友等の方々の温かさと母校明治大学を愛する心に感動と感謝の念を強く意識した出雲駅伝応援でした。

明治大学平成白熱党 村中直樹(平成元年政治経済学部卒)

(余談:飲んだ後の〆の一杯と思って入った出雲市駅前のラーメン屋でのこと。我々の後から店に入ってきた地元の中年男性から一言。「明治大学の方ですか?いゃ~、明治は最高!一番だよ!島根ワイナリーでの応援者はいつも明治が一番多いね。明治がいつも盛り上げてくれるおかげで、年々駅伝も盛り上がっているよ。地元の人間としてほんと嬉しいよ!明治ありがとね!」との賞賛の声をいただきました。いつでもどこでも“やっぱり明治がナンバーワン!”でした。)

さよならパーティー」at島根ワイナリー

さよならパーティー」at島根ワイナリー

米子稲門会の皆さんとスクラム組んで打ち上げだ

米子稲門会の皆さんとスクラム組んで打ち上げだ

応援合戦ステージ(法政大学)

応援合戦ステージ(法政大学)

取りを務める早稲田大学応援部

取りを務める早稲田大学応援部

       

 

やはり日本一の明治大学応援団

やはり日本一の明治大学応援団

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